「無邪気にうさぎを追っていた」

吉田正男

中田さんは、長年雑司が谷のけやき並木を見守ってきました。古くからこの土地に息づく自然や暮らしを知る中田さんに、ある夜、ふくろうの声を耳にした出来事についてうかがいました。

ーーある夜の話
結構大きな音だった。ものすごく現実的でこれまさかフクロウではないよなって思いながらも、でもふくろうの音だというふうに確信して録音しようと思ったら、すごくリアリティがあるんだけど、スマホに録音のアプリケーションがなかったんだよ。だけど、よしすぐインストールしようとしてインストールっていっても一、二分でできて、録音したのがこのデータなんですけどそれをそのデータを野鳥の会の人に持ち込んだら、豊島区のミミズクふくろう資料館のところにも持ってったんだけどそこは興味を示さないんだよ。豊島区にも話は出しに行った。だけどね、残念ながら興味を示さない。ひでえよなこれ本当ひどいよ。でねこれ実はこの話を、未来遺産推進協議会っていうのが豊島区にあるんですけど、そこに私ケヤキ並木保存会として入っている。そこでいろんな人が区長さんもおられたしこんな話があったのに全然興味を見せてもらえなかったっていう話を実はしちゃってたんだ。そしたら、そこのお寺のほうみょうじのご住職が君ら何やってるんだっつって豊島区の職員とかそういう人たちに向かって怒り出した。要するにフクロウっていうのが生態系の中の頂点に鳥類の頂点にいるのが、都内にもしも生存して生きていて声が聞こえたんだとしたら、こんな素晴らしい話はないじゃないか。なんでそれを興味を示さないんだって言ってすごく怒ってくれたわけよ。まあ観光協会の会長さんなので、ほうみょうじの。ただしその後も別に何の興味を示されなかったんだけど、これは残して声も残して。

ーー貴重な声
もちろんそれ以降は全然聞いたりしたこともないし。という貴重な平成30年の私にとっては夢のような嘘のような話ですよ。信じてもらえない。だけど実際には本当に野鳥の会までにテープ持ってったりしてるから。1人翌日にフクロウの声を聞いたとか何とかって神社の方でしたっけ、言ってたけどそれはちょっとわかりません。私の話は嘘偽りない。はっはっはっは。ただし野鳥の会の人も音声直してくれて、みみずくかな。ただしやっぱり定着してるふくろうはもうここにいるわけではないので、一過性のものでしょうねと。ただし一過性といっても、点在している場所も都内にも少しはあるので、それが郊外もしくは郊外から都内のどっかの営巣地にやってくる途中で、大きなけやき並木らへんで、その日はいたっていう判断しかできないっていう。通り過ぎる一過性のふくろうかもしれないですねっていうことにはなりましたけど。だけど、なにしろ豊島区に持ち込んだのにそんなような寂しい対応だからさ、豊島区って散々ふくろうだみみずくだってあっちゃこっちゃにさあ、これやってるくせにね。なのにそんな貴重な本当の声に耳傾けなかったのは、ミミズク資料館だなんてあそこに作っているくせに、だよね。

だからその後も一応何かあるごとにホームページに、ホームページで聞くことができますよって言ってどれだけの人が聞いてくれたかどうかはわかりません。

この前、街灯にふくろうが乗っかてたんですね。あれもさ、実はここ10年ぐらい前にもう相当痛んでから、あれなんだけど、それまで街頭の上に目を光らせてるふくろうがいるっていうのはわからなかった。ちょっと寂しい話だけどさ、それをそのご披露してるんですよ、このけやき並木ではこの街灯の上にふくろうがいるっていう話を恥ずかしい話だけど知らなかったって。隣の人がベランダから見てると「田中さんなんかふくろうみたいなのがいて目が光るんですよね」って言うんで。だからそんなにもsそれこそ昭和49年頃に敷道してますから、その頃の街灯にあったふくろうだと思うけど、そのぐらい区の人たちは、多分そのこだわってやってるにもかかわらず、シンボルのようにしているにもかかわらず、音に興味を示さなかったってのはちょっと。音が出るってことはそこにいたわけだからね。ふくろうってなかなか見られないんですよ。今みたいにあちこちで飼育されてるようなことって昔はもちろんないわけだから。ペットなんていませんし、

だから姿を知らないんですよ。見てないわけですよ。動物園なんかもその頃は行ってないからさ。

平成29年に書いてくれた私の大先輩も80過ぎてる人もホーホーという声は聞くけど、姿はやっぱり見てないんだよ。

このけやき並木あたりには、やっぱり大きな木がないとなかなか定着しないみたいだから、でもここは本当に大きな木が昔はうっそうとしたのがあったのでここや鬼子母神あたりには、それがいてももちろんおかしくない。住める環境があったっていうことでありますよね。とりわけけやき並木は、野鳥と歌ってますけど、一番最初の野鳥の中でも一番最初に出てくるのが、ミミズク、アオバズクか。

豊島区のミミズクアオバズクっていうのを焦点にしたいろんな展開している物とここで持っているこのイメージっていうのは全く別のものであって、ここはここで本当に生きたアオバズクの声。声ですよねやっぱなんだかんだ言って姿はやっぱり皆さん見てないから。一つの大きなイメージだよね。姿を見るのは大人になってからですよ。

子供の頃は音しか知らない。それで10年ほど前に音に再会したっていうぐらいの話でしかないですけど。

聞こえたっていうのはだからそれをにわかに信じてもらえてるのかどうかわからないので、それはわかりませんけどそれはでも私の中では確たるものですから。

何しろ、ここはね、湿気と鬱蒼、それから、木漏れ日。木漏れ日ももうほとんど芽が出てる4月から葉っぱが落ちる11月まではもうほとんど木漏れ日というよりも今言った木漏れ日じゃなくてもう薄暗かったんですよ。

だからそういうイメージしか私達の子供の頃なくて、秋だけですよ、明るい並木っていう感じがあるの。今は向こうの方に古い木がいっぱいあると思うんですけど、あれがもっと鬱蒼としたのが本当にここまで。もう隙間なくはないんだけど、でも結果的には枝と枝が全て、枝が自分で自分を整理するところまで密集してましたから、わかるでしょうけども、こもれびをもう通り越して、鬱蒼でした。

都内のここでも鬱蒼としてました。何しろ生活は、私はこの家に住んでましたから、どこ行くにしても並木を通らなきゃいけないから、さっきも言った湿気っぽい薄暗い並木の中での生活。でその中でフクロウの時期になると、フクロウの時期っていうのは私知りませんけど、フクロウの時期っていうのはやっぱり通っていくと夕方から夜にかけてはホーホーっていう、ミミズクの声をやっぱり聞いて、それが頭の中に入ってたけど、先ほど言ったみたいに姿はもちろん一度も見たことがない。で昔は今みたいに、ああいうふうにあちこちに飾ってくれてるわけじゃありませんから鬼子母神にあるミミズクのお土産がありますよね、ああいうものとの音との一致であって本当に稀にどっかでその写真っていうかその絵みたいなのを見せてもらってこれがミミズクってのやっぱり。今みたいに白くて綺麗なもんでなくてやっぱりもう本当に暗い濃い色のミミズクフクロウが、きっとなんか木の上にいるんだろうなぐらいに。でそれの声がホーホーっていう音を聞きながら生活してた。聞きながら生活するほど頻度は高くないんです。夕方同じような時間になると確か、先輩も言っておられたけど聞こえてくる。でしたよ。

だから、姿は見えないけど、音で子供の頃からずっと。だけどね物心ついたってか、昭和、大きな木を倒さなきゃいけなくなってくるっていうのは、ちょうどあの昭和の戦後になって、下水道だとか整備されるようになってくると木が傷み始めたんです。

それで昭和25年以降、結構早いピッチで切っていくんだ。それと同時にもうだからあのフクロウの声も聞こえなくなってくる。だからそれこそ戦後10年も経つと、木はどんどんどんどん傷んで、切るようなことにどんどんなっていきましたから、それと同時にもう、ミミズクの声は。だから本当に私らが覚えてるのは、本当に子供の頃だけ。木が傷み始める頃になるともう声は聞こえてないから。

何年ぐらいだろうな、私は昭和26年生まれですから、やっぱり昭和40年以降はほとんどないんじゃないかな。だから今から言うと、5,60年前ぐらいで半世紀だよね。

約半世紀以上前ぐらいしか多分、それよりももっと多分。むしろその人が文化を求めるようになってからやっぱりミミズクの声っていうのが印象はなかなかなくなってくるな。正反対しますよね。結局木につくわけだから、基本的にはあれじゃないですかね木が痛んでたら、

いなかったよね。

ただね野鳥は結構今でもいます。鳥自体は今でもいるし、来るけど、とりわけフクロウの声は、あんだけのフクロウの声は、半世紀以上以上は聞いてないんじゃないですかね。

その木が傷んでくるのに伴って野鳥の数自体も減ってきた印象があるので何ともわかんないから昭

どんだけ種類が違うのか。でもね、ここは結構、野鳥の種類は違ってますけど、私の先輩に言わせると結構野鳥は多かった。だから何ていうの、閑散として野鳥がいなくなっちゃった場所ではないです。今でも結構朝ちゅんちゅんちゅんちゅんすずめなんか逆にいませんけど、その他の鳥の声が本当にここは今でも聞こえる。だから、全くそんな都会だからといって野鳥がいなくなっちゃったのと違っている。フクロウの事はもうほとんど駄目ですけど、それ以外の野鳥は種類が入れ替わって今では。

今73なんですよ、やっぱり半世紀ちょっと50年60年ぐらい前の声だと思います。ただし、イメージとしては、ここはふくろうミミズクっていうあのお寺のおみやげのふくろう、ススキミミズクを常に見てますけど我々は、うん。

この袋見てるのでお土産の。だから、ミミズクっていうのは、ああいう姿のイメージはもちろん持ってるしいつも常に何かっていうとミミズクがフクロウがっていうふうに我々も言われてきたし、言ってきたから、それと現実を体現してないっていうののギャップ、それをその中にポンとあの声が入ってきてくれたので、もう本当に驚きだよね。

会いたいな見たいな聞きたいなと思ってたので、半世紀前以上にしか聞いたことないのに、それが半世紀60年ぶりぐらいに突然耳の中に入ってくるわけですから、日ごろなにしろミミズクだフクロウだってことは、常にこの辺では言ってるわけだから。幻ですよ。

最初は鬼子母神の下の方で、ほーほーってちょっと聞いたんですよ。まさかっていう思いで。いるわけねよって。もう否定してるんですから。だけど、あれ?でもどう見てもフクロウの声って、アオバズクの声って本当に目立つんですよ。

何て言ったらいいのかな。響きがほーほーって。チュンチュンとかきゃーきゃーとかって鳥言うじゃない。おのフクロウの声はね、やっぱ上の方で鳴くから。あのね、空気をゆするんだよ。すごかったよ伝播するっていうかさ。あのほーほーっていうちょっと中低音の声は、

空気を揺らして耳の中に来るのは鳥の声を聞くっていうよりも、何かこう、いいあらわしにくいですけど、幻をやっぱ聞いてるような。で坂上がってきて、やっぱりフクロウだって。いるわけねのにと思って。でもフクロウだと思って。録音しようと思ったら、アプリケーション入ってないのでインストール、その間に結構泣いてくれたんですよ大きな声で。

インストールして録音しようと思った頃には、だいぶ私が多分ガサガサガサガサ大井町の隣の公園のところでほら一生懸命こんなことやり始めてたから、なのかどうかわかりませんけど、少しずつ音が大きくなって、録音をしてるんだけどなかなか鳴いてくれなくなっちゃったんだけど、それから多分3回ぐらいは、ちょっとちっちゃくはなりましたけど。だから録音してる音よりも、私が本当に耳に聞いたのはもっとちゃんとした本当に鳴き声。

野鳥の会の方が音を整理して、大きくしてくれましたけどそれよりもまたさらに明快なほーほーっていう空気を揺らすようなあれでしたよね。もう手震えましたよ。本当に。これ信じてもらえないだろうなとも思ったよ。もういるわけないだろうっていうのは持ってるわけだから。でも、その情報を持って、区だとか、

民族資料館とか、小学校も。保存会の関係で何かそのふくろうの声を聞いたって話をしてたら、小学校の校長先生か何かが興味を示してくれて、

私の野鳥を書いた文章を持ってっ興味を見せてくれたっていうようなことはちょっと聞きましたけど。でも、区やミミズク資料館が何か興味を示してくれたっていうのはなかったね。それは残念ですよ。どんだけさ、公園だあっちこっちにな、駅に行ったってそうじゃんか。人形だらけにしてるのにさ。声が聞こえたっていうのにね。

興味を示さなかったことは。よく本妙寺のご住職は、区の職員の人に対して君ら何やってるんだって

本当に言ってくれたのはありがたかった。私もそう思いましたよ。なんで、ちょっと雑司ヶ谷付近で池袋でふくろうの話をしてるのに。

でもそのしょうがないなあまりにも夢のような話だから。そのぐらい夢のような話なんですよ。ただ区の職員の方とか、ああいう方たちにしてみると私達が思っているミミズクフクロウアオバズクの音やイメージっていうのはどうしても日常生活の中にあるわけじゃないから、我々はもう子供の頃から体の中に染み込んじゃったふくろうみみずくあおばずくの声っていうのがあると思います。いずれにしてもしょうがないことで。

何か結構、野生のイメージがなくてそれこそ僕とかは、だからなんか多分実感がないのかなっていう感じもして、どっちかいうと見るのはキャラクターだったり、銅像とか、なんかそういうのを先に見ちゃっててやっぱり

私はだからそう思います。違うと思いました。どこだかで肩の上に白い大きな、フクロウをね、載せて歩いてた。浅草でも池袋でも見たことあるんですけど、まああんな綺麗な見世物じゃないですよ。やっぱりもっと目だけはゲロゲロしてるイメージあるけど、もっと何かこう暗い、怖い、イメージだよな。そんな綺麗なものじゃない。だからあなたたちが公園だとかどっかで、見たりしてるふくろうの鳴いてる音には私は思えなかった。やっぱりこう、もっと汚れて暗いイメージだよ。

だって俺思うよ、公園の中のところに白い、入口のとこに白い大きな人形が置いてあるけど、ああじゃないよなって。私はもっとこう、ハゲタカっているじゃない。

茶色っぽいのでこういう羽の色、色はあれだよ。形はどうしてもねあれが重なりますよ。鬼子母神のフクロウの人形と。でもまあ同じようなものだよ。イメージは鷹の色。鷹の羽ってあるじゃないですか。やっぱり暗いものって感じですよ。だというイメージね。イメージしかないんだから見てないんだから。

人形だってなかったよ。もちろん人形なんかないし、写真だって、おそらくカラー写真でなんて我々見てないからさ、子供の頃はさ。モノクロでしかなかった。まあ写真を例えば見たことがあったにしてもモノクロしか見てないから。それでももうちょっと大きくなってから見た印象はやっぱりあの鷹の色のこげ茶色の中に黒っぽい何かまだらの斑点があって、っていう鳥のイメージで。

あのね、けやき並木でいえば、ケヤキの中にそんな綺麗な鳥がいるわけないんだよ。保護されてるわけだから、白い鳥が鳴いたらまずいよ。だってもうもろあれですよ、分かりませんよ、木のところにいたら、おまけに暗い夜だからさ。それで白い鳥が鳴いてるわけがない、とは思う。やっぱりなんだかんだで野生ですからね。

もう、小鳥なんかだとかそういったものを捕食して生きていってるわけだから。そんなにペットのように甘くはないんじゃない。だからああいう声が出るんじゃないの。すごいよ本当に空気を揺らすよ。俺坂上がってくるときに本当にあれだからいわゆる鳥の声じゃなかったよ。ほーほーっていうのは声じゃないよなあれはな。空気だよ。

やっぱあのね、怖いですやっぱり夜のイメージでしかないから、おまけにほら子供のときにしか聞いてませんからやっぱ怖いです。それで空気を揺らすような音だから怖いよね。だからその白いイメージじゃないよ。

ちょっと話はさかのぼりますけど、ミミズくのその声を聞く前にもう既にミミズクとかすすきミミズクはそれこそ結構前からあって、フクロウの今のそれこそいろんなキャラクターとか銅像とかの盛り上がりがあった時点でのあれですか?

ていうか盛り上がったっていうか私はあんまりイメージとして豊島区のイメージとしてふくろうだミミズクだっていうのをこんなもう何て言いますか進めたっていうのは知らなかった。

ただ本当にこの辺はもう当たり前なので、はい。だから知らなかったんですよ。だって、豊島区だってフクロウをイメージキャラクターにしましょうとか何とかって言ってるのそんなに昔からやってたわけじゃないでしょ。

だから、知らなかった。知らなくてもいいんだよ別に。我々にしてみたら。もう過去の話でしたよ現実には。だって豊島区で歌ってるあれだって、まさか本物がその辺にいて何かだなんての印象はなくて、皆さん夢のような、姿形にしてしまって、

今そのイメージとして出してるんでしょうから、我々の持っているのは、まさに本当に怖い感じの声。声っていうのは怖いですよ、やっぱり。ほーほーって鳴くわけだからさ。ちょいちょいじゃないからね。

水田、確かにそれこそすすきみみずくとかって、なんか完璧に何かそれこそ、綺麗な印象ってよりかはそのちゃんとリアルな印象も残してある。

あの色がさ、すすきの色ってあの白じゃなくてむしろ、なんかやっぱりかなり濃い色じゃない。

ちょっと折れちゃってるけど、我々はここで育ってるからさ。これ耳赤いけど実際は赤いことなんかないわけでしょうから。これなんだよ。これももう相当前でもう20年ぐらい前のものだ。

このイメージだよ我々だって見てないんだから、なにしろ見てないよ。大人も見てないんじゃない。大人も。だって夜しかあれなんだから。おまけで鬱蒼とした木の上の方で。枝を切った跡があって、穴になっていくじゃない。あそこの中に営巣するんだっていうことを言っておられたんですよね。

だから、ますます見えないですよ。木の中だと。だからイメージでしかないんだよ。こういうとりわけ一番ダイレクトのイメージはこれなんですけど。なにしろ本当に昔はその写真だとか何とかなかったから。おまけに飾り物は皆んなないしね。

そうっすよね。それこそ本物見たことなかったし、写真もあんまり出回ってないし、よく目にするもので言えばすすきミミズクってなると、あれが本当にイメージの始まりというか、イメージの始まりがまだ違いそうですねそれこそなんかそれこそ僕とかはキャラクターとか始まりがそっちになってるから全く違うのかな。

ただね、これはむしろ今の明るいですけど、やっぱり色合い的にはあの鷹、今さっきちょっと言いましたけど、鷹みたいな鳥のああいうイメージ、色もああいうイメージでしかない。

そのイメージはどうしてあるんだかちょっとわかりませんけど、まあモノクロで見てたからなのかどうかそれはわかりませんけど。あの鷹のようなカラーのこういうものっていうイメージかな。

これはもう元禄の時代にこの辺のお土産屋さんで使われてた。だから小学校の同級生が同級生の親御さんがこれを作ってるお店の人だったりしたもんだから、とりわけ売ってるのは今でこそ案内処とかお寺で売ってますけど、昔はそういうとこで売ってなくて。

一軒ちょっと坂を行ったところのそういう専門に作ってる人がいて、それをお土産として売ってた。うちはそんなの買ったこともないし触ったこともない。だけど、通りすがれば、置いてあるので見てたかな。っていうイメージだね。

もう当時からその間観光っていうか何か外から来た人とかに売るみたいな感じだったんですかね?

今でこそ、鬼子母神ってか雑司ヶ谷あたりが少しは見直されて、昭和のレトロを残して、もしくはそれ以前のね、古い形を残した状態で、今でもこうやって存在していること自体がいいっていうふうな見方だったかもしれませんけど、戦後、そんなことないわけですよ。当たり前のように昭和の何の変哲もない。だから我々がやっぱり半世紀前ぐらいまでは、もしくは、今から30年ぐらい前まではそんなに賑やかじゃないんですよ。

元禄時代これができた歴史は詳しくはきっと出てますけど、元禄時代のものすごくここがピクニックだとかで流行ってた江戸時代の頃はいっぱい賑やかだったんでしょうけど、それからこういうお茶屋さんだとかどんどんなくなっていきますから、普通のあの民家が明治、元禄時代の賑やかな人の行き来、っていうのから、明治大正を超えた頃からになるともうほとんど普通の民家しかない。

だから、賑やかじゃないんですよ。今正月はすごい人が並ぶようになったけど、我々の子供の頃は正月3日ぐらいにもらったお年玉をみんな持って鬼子母神に行ったって、参拝の人なんかほとんどいないですよ。子供たちは川口屋さんかなんかに集まって、もらったお年玉見せ合ったりしてっていうような、割と今みたいな、

人通りの多い時代じゃないときがあったのよ。今から戦後の昭和、二、三十年代ぐらい、昭和30年代前後40年も含めてそんなに賑やかじゃない。注目されてるような場所でもない。

やっぱりある時期を今からそうだな。あのね、お祭りブームっていうのがあったんだよ。国鉄がさ、なんだっけなディスカバージャパンとかっていう文言を始めてはい日本の良さを見直しましょうっていうので、お祭りだとかがすごく盛んになった頃があるんです。それが多分、今から40年ぐらい前、それ以前だから今から半世紀以前は、昭和になってから本当にその賑やかじゃない、寂しい。我々が子供のときは寂しい時代をずっと過ごしてる。

だから何て言うのかな賑やかじゃないんでそういう生活でした。だから、けやきだって多分誰もその見向きもしないっていうかさ、あの時代、大変だったと思いますよ。なにしろそんなに人通りがいっぱい来るようなとこじゃないここ。

それこそその今、例えば豊島区がフクロウになった理由みたいなの見てると、やっぱここの話とか出てきたりするそう雑司が谷のミミズクの話とか。

それはあれなミミズクフクロウの。これはだって有名なそれこそ元禄から有名な話で。あとお寺も何しろさ私も好きなんですけど、あの池袋から歩いてきてたかだか5分もするともうこういう、こういうね割と今の時代とはかけ離れちゃったものがそのまま残ってるこれって残ってるけど残してるんですよ我々は戦いをして、石畳だとか。

木もそうですけど、無意識のうちに残そうという努力はやっぱ散々してきてるので。だから、町会長なんかとも話をしてるんですけど、「変えずに次の代に残しましょう」っていうなんていうのかな思想を持って、だから石畳をその舗装に変えましょうっていう話もあったりしたんですけど、

そのときも反対して、石畳を残しましょうっていうことで戦ったわけじゃないすけど、嘆願して、石畳も残してきたし。私は直接関わりありませんけどこの今の太い木は、東京都の木ですけど、細い木は豊島区の木で

それで太い木が19本あったのが、4本しか今残ってないんですけど

4本になる頃に、もう枯れちゃってるから、ないわけですよ、何本か4.5本残ってる以外は。そこにまた並木を形成させようとした。

運動をした人たちが我々の父親たちの時代なんですよね。

これも余談だけど、来る人は涼しくていいとかって思うかもしれないけど、夏は。大変です清掃が。これは。もうね、これで新芽が生える3月頃になるとピッピピッピ樹液が落ちてくるし、アブラムシやら、芽殻っていって芽をふくときにがらが出るんですけどそれも落ちてきますから。もうね、3月の後半ぐらいから、それとの戦い。

夏場だけ少し、落葉がないですから新芽が終わると、葉っぱが新しい芽ができて気持ちのいい緑が木々が生えていきますけど、もう夏場になると、風が吹いたり何だかんだするといろいろな問題が枝が起こってきたりとかっていうそれから10月になるともう今度は落葉が始まりますから。だから4月5月それから10月、11月12月3ヶ月が合計5ヶ月間ぐらいはもう大変。だから何が言いたいかというと、大きな木しか残ってないところにまた並木を形成しましょうよと言って。区の木をここに植えた

勇気はすごいものですよ。っていうのはね、現実に向こうの方行くと、自分の家の前に大きな木があった人は、もううちはいいっていう人が多い。人が見てる分には、もしくは自分のうちから離れてる分にはあれがあって、通るときに涼しかったり風情があったりはいいけど。自分のうちの前にこうやって木があるってことは、大変なことです。

今言ったように約年間のうちの半年間ぐらいは、なんらかの掃除をしなきゃいけないし、半端な落葉じゃないですよ。けやきは。それをまた今日

残ってきたんじゃないんだよ、残そうとしたんだよという意味は、先人たちの勇気が、もちろん最初の太い木が残してきたこともそうですし、それ以降に倒れてしまった太い木の後にまた木を植えようと話し合って植えた人たちも、リスペクトに値するよね。どれほど考えてやったのかわかんないけどさ。うちだってこのままありますけど、うちの親が何か許可したとか何とかしたんじゃなくてたまたまこっちの方にいないで別のとこ住んでたので、

整然と並べられていったぐらいなもので、はっきりとうちの前はやめてくださいって言った人は、やっぱりやってないと思いますよ。派手じゃないですけども。これからだって大変なのももう目に見えてる。いいですねって言うのは簡単だけど、そんなもんじゃない。

そんな中で、フクロウの話は夢だね。そんな嫌な落葉の掃除ばっかじゃなくて。もちろんあれですよ。このけやき並木があるっていうことの良さは先ほど言ったようにら歴史に対するリスペクトもあるけど、やっぱり心地よい風が吹いてきたり、夏の炎天下での、4.5度違うからね、涼しい風も通るし、温度も違うから。影もできるので。

ものすごくいっぱいある良さももちろん兼ね備えた上で、そのお礼に掃除をするっていうような発想で皆さんでしましょうとは言ってはいるんですけど。だから大変だ大変だって言ってると何でやってるんだってことになるんですけど、そうじゃなくて、もちろんいいことが100倍あって、中で何十かは大変だということなんですけど、そこでミミズクは夢だよな。

これはなかなか理解はしてもらえないとこだと思いますけど。

要するにその古い木を残してきた。枯れちゃったけど植え替えた、そこでやっぱりミミズクの声が鳴り響いたときがあったっていうのはやっぱりこれはなんというかね。

うまく言葉でお話しできませんけど、やっぱり奇跡のようで、私の中では奇跡のようですよ。

これは昔の木を残した人も大変でしたけど、実はもう450年500年近くにこの並木ができてるんですけど、それから切ろうとした人がいるのに対して切っちゃ駄目だっていうような戦いをやっぱり何度かやってるんですよ。江戸時代にも、今でいう裁判所に持ち込んで。

そもそもがお寺の木だったんですよ。お寺の木だったものですから、

お寺の木なんだけど、土地の持ち主がちょっと別のところのお寺だったんですよ。それでこのふしん材ってあの、江戸城の建築するときの材料に使うので、この木を切れっていうのに対してお寺が裁判で訴えて、

そこの木は切っちゃいかんってなった。その反対にお寺がこの木を切りたいと言ったときに、それは切らないでくれって結構前の住人がやっぱ裁判を起こしてお寺に木を切っちゃいけないっていうやっぱり歴史がちゃんと残ってるんですよ。文章でも残っていますし、それを保存会ではまとめて、

一つのストーリーをちゃんと作ってあるんですけど。そうやって守られてきてるので、という流れがある。ストーリーを保存してるんです。

その中にたまたま今並木の話ですけど衰退があって賑やかに人がいっぱい大勢集まったっていうときもあるし、お茶屋さんでにぎやかでいっぱいそれこそ人が来るときもあるけどお茶屋さんが亡くなって普通の家しかなくなるともう寂しいことになったりとか。今少し昭和レトロみたいなのがあってちょっとブームが1ときありましたからまた賑やかになって。でもこれって自然にまた衰退していくものですからその中でも黙って我々は一喜一憂せずに、それを残していきましょうねというのがさっき言った、変わらずに残すという意味ですよね。

そこでミミズクは夢なんだな。

そこに乗っかってるんですねミミズクのお話は。

そうやって500年からの長い残ってったリスペクトに値する、残ってった歴史の上に、ミミズクの声は昭和平成30年の声はのっかってる。それの前の昭和14年だとか。

のミミズクの話は、ああいうふうに。だから、けやきの話も残してはいるんですけど、それと対比して、ミミズク含めた野鳥の話を、この2本立てとして残していきましょうっていうのかな。

そのぐらい鳥というか、この地域の中では、あるということ。

だから、あのかわいいフクロウばっかじゃなくて、リアルなフクロウもいいよねっていうふうには思ってます。

でも愛らしいよね首がくるくるくるくるさ、目ぎょろっとして回っていくのだってかわいらしいよね。それもイメージとしては持ってます。

それに注目しなかった区は、ちょっと寂しいかな。まあでも幸いに今こうやって残しておけるからさ、あの声だってまた誰も見ないかもしれないんだけどいつかは町会としてこの保存会を残そうと思ってるから、そうすると、ああいうホームページみたいなものをそのまま残しておけば、

声だとかも、いつかはまた注目されているかもしれないし、歴史も書き残しておけば、残っていくかもしれないっていう。

期待はしてないんですけど、でも資料を残しましょうっていうことで。

あとね、ちょっと話は離れちゃうかもしれないけど、例えばケヤキ並木だとか、この辺のことを話しするのには、こういう資料を自分独自に自分たちで持ってないと話ができない。だから、一つのストーリーがある資料を今日皆さんで共有、もしくはどっかどっかにこうやってクラウドで入れておけば、それがあれば、何か聞かれたときにもまだ話ができるっていうか。語れないじゃん、

何も物もないのにさ、並木はいい並木はいいって、例えばケヤキ並木の話だけど、何がどういいですかって言ったときに。

歴史があればそれをちゃんと残ったものじゃないと、風聞だとか伝聞だと、いつかは曲がっていってしまう、消えていっちゃうので、文字としてちゃんと全部残せば、文字をそういう状態で残しておけば、写真に残しとけばっていうのがあって、

残さないといけない時期がちょうどあったのでもう人が入れ替わっていきますから、私達も含めてそうですけど、今は昔の資料がまだ残ってたりしてましたので、野鳥の文章もそうですけど、これもそうですよ、今のうちに野鳥のことを語ってもらえる人に語っといてもらおうと思って。

また100年後に、野鳥のことを語って誰かが語って文章にすれば、100年、100年、100年間の、そういうサイクルなんですよ。雑司が谷やこの辺って、100年が簡単なんだよ。500年からの並木だから、お寺だって600年って言ってんだからさ。そういう長いスパンがそのまま残ってるんです。

だからやっぱり豊島区でもさ未来遺産とかって言って。ユネスコの未来遺産登録っていうのは100年先に残したい文化や歴史っていうのを確か、育てていく運動することをなんかプライスされたんですけど、もう本当にここなんかまさに100年前の話で、今の100年、で次に100年経ったらまた誰かがきっと同じように野鳥のことだとかを話してくれるだろうという期待を込めて残しましたから、次にはまた100年と言わず、50年後にもう全然話が違っちゃってるかも知れない。

それはそれでしょうがないです。ていうことですね。100年単位で残っていけば、上書きしてくれれば、どんどんどんどん積み重なっていきます。ただもうミミズクの話は、私が聞いたので最後かな多分ね。

ただ声は残ってるからね。もうキャラクターになっちゃうよな。豊島区の作ってるキャラクターでしかない。でも現実には、あの声で鳴いたすごい強面のフクロウがいたんでしょう。

イメージは白いふくろうじゃなくて、やっぱ先ほどから言ってるみたいに、鷹のような羽を持った、ああいう。間違いないですよ白い色なんかしてませんよ。はっきり言っとくけど。ふっふっふっふ。

やっぱりつき指すような目で、くちばしで、うん、締まった体で、飛んできて泣いてたんだよ。あんなファットな鳥のわけないよ。でもね本当にあの声はねすごいよ、空気を揺らすよ。これはもう間違いない。

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のなみきを形成させようとした幕もそうかもしれませんけどそれを許諾住宅受託したこの辺の近隣の我々の親たちの時代の人たちは、これはすごいなと思うだけ覚悟を持ってというかそういう覚悟を持って、祖霊にはなぜかっていう今でも私の中ではわからないこんなすごい大変な思いをしてっていうわけじゃないうん。

今まで通りの訴えが普通のただのどこでもないわけだからあったものがなくなったっていうだけの話だからさ、そのままなければなくて、何か道が成立してたわけじゃないんだけどやっぱりその昔の契約を並木を復活させようという大変だけで復活させようとした人たちのね、その決断と勇気にはリスペクトしますよ、だから変えずに残しましょうねっていう鳥海との話はそこに起因するんですよね。

やっぱりそういう努力や勇気が決断があって、今残っててもやっぱ大変ですよ、本当にもう豆はできるし誰もやってくれるわけじゃないものすごいんだよ。ましてやだんだんでも、若い新しい人たちが低い家が建つ古いうちを壊して言えば、土地売ったりすると新しい人が来るとその人たちがちゃんとその清掃に理解、どれだけしてるかわかりませんけど、理解してきてくれるのでうん。

清掃はもちろんしてくれる停止してくれるしこれからもしてくれていくんだと思うんですけどもう筆舌にあれですよ、麻痺しがたいぐらい、大変これはもう泣きたくなるぐらい、朝6時から掃除するんですけど、何か様の時期3ヶ月間、はい。

1時間もびっちりですよ。へえびっちりですよっていうのはちょっとオーバーけども私は結構やる面積が多いので、やっぱり1時間ぐらいそれは時間を揃えてやるんでそれか少しなる。これまた難しい話この辺ってまだお互い様っていう言葉ご存知だと思うんだけど、意外と残ってるんですよ。

それだけその割と下町っぽいところで、自分のところだけというやつ。隣両方と同じぐらいはやったりとかするんだけど私やろうと思ってますが、時間が今じゃないんですけどっていうのにやらやるじゃないですかそうするとね、微妙なんだよね。

なるほどそれがほら、ただしもう昔は昔から一緒の人たちだったら、すいませんね。うちは明日やっておきますけどっていうようなことになるんだけど、あの微妙だから私は今大体10月から12月までは、うん。6時から皆さんも吐く人は3人ぐらいいらっしゃるので、並木保存会の会長としては本当はその時間にはしたくない。

もっとゆっくりした時間にしたいんだけど、なるほど、とりあえずやるんでそうじゃないとさっきも言った量があるほど何をやってくれる人たちがうちもやってもらったりうちは手つけ出すともう大変なのでうちは頑張って自分でやりますからと言いながらですね朝やれば終わりじゃなくて、これこそ一日中もう楽をしてきますから朝と晩やらなきゃいけないとか何とかっていうことになると、合計すると1時間以上、葉っぱ掃除で自分とこだけだったら本当ここだけやればいいって話なんだけどなかなかそうもいかないから、うんやっぱりとかっていうのは、時代に穴にはやってるのでそっかあですそれは、それこそここぱっと来た人には本当にわからないその努力があってこそというか、意識的な